くだらないの中に

TEAM NACSとか

『サラバ!』西加奈子

 

私にはまだ信じられるものがない。探している最中だ。『サラバ!』のテーマはきっと「信じること」だが、私はこれを読み終えたとき最初に頭に浮かんだことは、冒頭の「私にはまだ信じられるものがない」ということだった。

私はある時期、「何か私を形作る“芯”がほしい」と考えていた。それは確か前職、入社してそろそろ3年目となる時分。一日の大半を費やす仕事において、何も見いだせなくなっていたときだ。そもそも前職は、私の諦めの思いから入社した場所だった(とても失礼なことを言っているのは百も承知。それでも今振り返れば色々学ぶことはあったし感謝している)。本当は大学で学んでいた映像や広告の仕事がしたかった。しかし世の中そんなに甘くない。私はそれまで成績優秀な所謂良い子ちゃんで、高校・大学も行きたいところにスムーズに入ることができた私にとって、就職活動は人生で初めての挫折であり、なんの理由もなく自分の中にあった「自信」を崩壊させるには十分なものだったのだろう。すっかり自分が嫌いになってしまっていた。就職浪人をするという選択肢もあったのだろうけど、これまでスムーズに進めてきた人生を滞らせるという選択をするほどの勇気もないし、それをしてしまったらもっと自分を嫌いになりそうでできなかったのかもしれない。

前職ではそつなく仕事をこなした。優秀とは言えなくても、少なくとも上司を困らせるようなことはなかったし、期待されればそれなりに応えた。けれどその仕事に私の「意志」はない。だから「いつ辞めようか」としばしば考えていた。「何か私を形作るものがほしい」と思ったのはある日の帰りの電車の中だった。ずっと忘れていたけれど、『サラバ!』読み終えて、急にその瞬間を思い出した。夕方、いつものように人の少ない電車の中。遠くに見える山と、時々途切れる携帯の電波を眺めながら、ただ、漠然と「芯」が欲しいと思っていた。信じられるものが欲しかった。仕事なのか趣味なのか結婚なのか出産なのか子どもを育てることなのか。自分が求めているものが何なのかは分からなかったけれど、きっと私は不安だったんだと思う。物語に出てくる歩のように、何も、何も手に入れないまま齢を重ねていくということが、あまりに怖かったんだと思う。周りの人間が全て自分より勝っているように見えて、自分より幸せに見えて、少しだけ残っていた自尊心が、キリキリとすり減っていたんだと思う。

ここ数年でそれなりに紆余曲折があった。今は転職もして「ものを書く」という私の中で唯一長らく「自信をもてる」と思えていたものを仕事にすることができている。「書く」という行為に対して、私より優れている人なんて吐いて捨てるほどいるし、思いのほか私は「書けない」という現実を突きつけられて、この仕事を選んだことに「失敗だったのでは?」と問いかけたくなるときもある。一喜一憂、一進一退の毎日。けれど。けれども。私は以前よりずっと自分が好きだ。ときには心が沈み「消えてしまいたい」と思うことだってあるけれど、それもずっと少なくなった。「書く」という行為を仕事にできたという結果は自分を元気づけたし、素敵だ、尊敬する、ああなりたいと思える人の傍で働けることは、私を幸せにしてくれているのだと思う。

私はまだ「信じるもの」を見つけていない。書くことを一生の仕事にできるとは思えないし、結婚の予定も出産の予定もなければ、恋人だっていない。趣味は沢山あるけれど、私はその界隈でトップには立てないし、私の上をいく人がいくらでもいるということをこれまでの経験で知っている。けれど、私が以前ほど“揺れて”いないのは、今まさに目の前に、自分の意志で選び、取り組むべきことがあるからなのではないかと思っている(そしてそれは今の私にとっての仕事である)。これが結果として私の芯や軸になるかは分からないけれど、それでも熱中できるものがあるのはとても幸せなことだし、以前よりずっと増えた「充足感」に繋がっているのだと思う。歩にとっての小説を書くという行為や、「サラバ!」という言葉のように。

 

会社の先輩から借りた『サラバ!』を読み終えたテンションのまま書いたので、文体がいつもと違いますね。そして感想というより回顧だ。失礼しました。